なぜ「教養部」ではないのか
まず、東大教養学部がなぜ「教養学部」という名前で、ほかの大学のように「教養部」と呼ばれないのか、から考えていきたいと思います。
日本の多くの大学は、1・2年の「教養部」と3・4年の「専門課程」に分かれています。1・2年、特に1年のうちは、専門課程に集中せず、幅広い分野の教養を高める、ということに主眼が置かれます。将来、法学部に進む人でも、理科系や人文系(文学や教育学など)の科目の単位も、一定程度取ることが義務付けられており、工学部や医学部に進む人でも、社会科学系や人文系の科目を一定程度、取ることになっています。また、多くの大学では、英語に加えて、第3外国語の学習もすることになっています。
このようなところは、東大も東大以外の大学でも同じなのですが、東大は1・2年生の2年間の位置づけが独特です。
教養学部は、旧制高校の伝統を受け継いだうえで、第二次世界大戦後のアメリカの「リベラルアーツ教育」の影響を受けて、独自の位置づけを与えられました。
旧制高校の伝統を引き継ぐ
旧制高校とは、明治時代にドイツの影響を受けてできあがった高等教育機関です。旧制中学を卒業した人が、難しい入試を受けて入学し、全寮制が基本になっています。ここでの3年間の教育は、歴史と外国語に重きが置かれ、旧制大学を志望する人たちが、大学入学前に日本のリーダーになるにふさわしい深い教養を身に着けるための場所でした。
旧制高校は、大学と人事交流があり、大学で教えてもまったく問題がないレベルの先生たちが授業をしていました。
日本の旧制高校を代表するものの1つとして、第一高等学校があります。これは、最初は、現在の東京都文京区弥生にあって、1935年に現在の目黒区駒場ににあった東大農学部とキャンパスを交換しました。犬のハチ公を主人公とする物語の中で、ハチの飼い主だった東大農学部教授が通勤で渋谷駅を通っていたのは、当時の東大農学部が駒場にあったからです。
このような経緯で第一高等学校は今の目黒区駒場にありました。第二次世界大戦後に、これを引き継いだのが現在、駒場にある東大教養学部です。第一高等学校の先生たちの多くは東大教養学部の教授になりました。戦前の旧制高校の中でも最難関であり、教育内容は大学に劣ることがなかった第一高等学校の先生たちは、レベル、プライドともに旧制一高を引き継いで東大1・2年生の教育をしました。
アメリカのリベラルアーツ教育
第二次世界大戦後は、東大教養学部には、以上のような旧制高校の伝統に加えて、アメリカ合衆国のリベラルアーツ教育の考え方が大きく影響を与えました。
アメリカでは、大学の4年間は専門を狭く決めず、教養教育を受ける場所、ということになっています。実際には、個人個人が事実上、専門を決めていくのですが、日本の多くの大学やドイツのように「医学部」「法学部」「工学部」というような学部が1年生から決まっている大学は、アメリカにはありません。アメリカの大学4年間は、すべて「教養学部」なのです。大学生としてふさわしい教養を身に着けたうえで社会に出る、または大学院に行って専門科目を深める、という考え方です。
東大教養学部は、このリベラルアーツの考え方を取り入れ、3・4年生になっても「教養学部・後期課程」というコースが駒場にあります。本郷の専門課程には20世紀半ばまで存在しなかった学問、たとえば国際関係論、アメリカ研究、科学史、文化人類学など、従来の学問の境界を超えた研究をした人は、東大では3年生から駒場の「教養学部」に進学します。この「東大教養学部」を卒業した人たちは「教養学士」の卒業証書をもらいます。さらに、東大教養学部には、大学院の修士課程、博士課程まであります。
本郷と同等のレベルがある駒場
このような「旧制高校の伝統」「アメリカ流のリベラルアーツ教育の継受」の結果、東大教養学部の先生たちは、本郷の専門課程の先生たちに劣らないレベルの研究・教育をしています。
たとえば私(オックスフォード学院塾長・山本 清)が東大教養学部の文科Ⅰ類の学生だった時、シェイクスピアを専門にしたい人は、本郷の文学部英文学科に行く人もいた一方で、駒場の教養学部イギリス科に行く人もいました。当時、駒場の教授だった小田島雄志先生は、坪内逍遥以来、100年ぶりにシェイクスピアの作品の全訳を出版したばかりで、駒場でも、本郷に劣ることがない英文学の研究を指導しえもらえたからです。同じようなことが本郷の国際政治と駒場の国際関係論についても言えます。私は本郷の法学部で政治学を専攻しましたが、本郷にするのか、駒場の国際関係論にするのか、非常に悩みました。
今回の動画でアラタ君には東ローマ史や鎌倉幕府設立期の少人数授業(ともに学生の数は3人!)の魅力について言及してもらいました。アラタ君はこれからさらに1年半、駒場での授業に出るので、これからも何回か、東大教養学部の魅力について引き続き語ってもらいたいと考えています。
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